難しいことを易しく
例えば、マルクス・レーニン主義をアカデミックな言葉を用いて、さも高尚な論理を展開してみせる。
何かすごいものを聞いているような感覚になってなかなかオツムが良くなったような錯覚に陥る。
例えば、難解なレリックを用いて、かの有名な文学などを批評してみて、作者の深淵を覗いてるかのような気分になる。
芥川賞作家が以前、インタビューで言っていたことを思い出す。
「難しいことを難しく言うのは一流ではなく、難しいことを易しく伝えられて一流である。」
細かいニュアンスは違うかもしれないが、概ねこのようなことを言っていた。
俺はそんな難しいことを伝えることすらできないが、世の中には、難しいことを難しいまま、または、難しいことを更に難解にして、世に伝えられて、流れのままに何となくわかったような気になってることがたくさんある。
分からないことを分かったように振る舞うことの方がよっぽど恥ずかしいのに、周りに合わせて分かったような態度をとる。
何かを書くようなことをするなら、プロでもアマでも、そこを目指すべきなのかなと思う。
難しい言葉を羅列すると、何となくいい事を言っているような錯覚をするけど、やっぱりそれは錯覚なんだ。
特に、ブログという形を取るならば、平易な表現を用いて分かりやすくて、読みやすい、そんな文章を書いて、そして望めるならば、ただ一人の読者だけでも、逃れられないような毒のある一文を書き起こすことができれば、物を書くことの本懐を遂げることができるのではと思う。
うん、難しいままだな。