何者でもない者

それでも俺はここにいる。好きなこと、書きたいことを書きたいように書いています。読んでいただければ幸いです。

回顧録

そろそろ自分の自己紹介的なものを書こうと思います。

 

何者でもない者、なんてブログにしたので必要無いと言えば無いのだけれど、まだまだ手探り状態で書いてるのと、自分を振り返ることで色々整理されるのではと思うので。

 

生まれも育ちもも神奈川県横浜市。3人兄弟の次男で、ジャイアン的な兄と人たらしの弟に揉まれて育ちました。

 

生まれる前に、父親が睾丸のガンにかかり、放射線治療後の初の子供だったとのことで、当時、両親は堕胎を勧められたようです。

 

そんな中、どのような子に生まれても、我が子だからと生まれたのが俺でした。

幸運にも特に障害もなく生まれました。

 

ただ、4000gオーバーで生まれた以外は。

 

横浜市とはいえ1980年代当時、俺の住んでた海沿いの町はまだまだ自然が多く、あっちの公園やこっちの底なし沼、そっちの廃屋なんてのが散らばっており、兄や近所の子、弟なんかと連れ立って遊び歩いていました。

 

普通に小学生にはなったんですが、小学校3年ぐらいだったかな、両親が離婚しました。その記憶と幼稚園の頃、弁当がご飯と鮭のみという中身で、なんだか恥ずかしくなり、食べずに蓋をした記憶が鮮明に残り、結びついています。

 

それぐらいから両親の関係は崩れ始めていたのかもしれません。

 

今から考えるとそんなことでと思うけど、当時は周りの子が色とりどりの弁当を持ってきてる中で、自分だけが違うことがいたたまれなかったんだと思います。

 

両親が離婚した後、兄弟3人は父親に引き取られました。家には父方の母が一緒に暮らしていたので、その祖母に実質育てられてきました。

 

母親は別の男を作って出て行ったんだと聞かされました。

 

どちらについて行くか子供達にそれぞれ選ばせていましたが、俺はどこへ行くのかも分からないことと、知らない男が一緒ということに嫌悪し、父親側に残りました。

兄弟もそれぞれ思うところがあったようで、そのまま残りました。

 

その後、長い間、母を憎むようになります。

 

写真の母親が写っている部分を全て切り取ったり、母親が置いていった荷物を壊して捨てたり。その頃と時を同じくして小児喘息と不登校気味になって行きました。

 

青い良く晴れた、綿菓子のような雲が浮かぶ空を、漆喰が剥げかけた壁に開けられた窓越しに、布団に横になり、仮病を演じながら眺めていたことを思い出します。

 

そんな休み癖が付いたどうしようもないガキでしたが、小中高となんの変哲もない公立の学校に進学。

 

この頃から、初恋やらの色恋を経験して行くのですが、ここで母親との別離によるとしか考えられない女性との距離を感じるようになります。女性には当時、事欠かなかったのですが。

 

これは、また別の機会があれば掘り下げたいと思います。

 

その後大学進学し、おそらく人生初の挫折を味わいます。

 

精神的にやられて完全な登校拒否(笑)

 

中学生かと思うけど当時は大真面目にキツかった。就職氷河期だし、留年してしまうし。クソ底辺になるしかない。なるなら大学辞めてしまえって思ってました。

 

ところが、立ち直り、留年してもう一年大学行って卒業しました。詳しく書いても面白くないんで書かないですが。簡単に言えば、鬱ですかね?病院に行きましたが、医者に対してお前に俺のことは分からないとか思って通わなかったので、たぶん鬱ではないですね(笑)反抗期?

 

大学在学中に母親に再開。子宮筋腫の手術で万が一があったら会えなくなるとのことから、ずっと繋がりがあった兄の誂えで再開。最初はやはり敬語でしたね。全くの他人って感じ。

今になって思えば子宮筋腫の手術で中々死なないとも思います。

でも、この頃には許してました、俺たちを捨てたこと。少しは大人になったんですかね。

 

それからも寄り道はあったけど、現在の仕事をし始め、大学から計6年付き合った二つ年上の女性と結婚。

しかし、結婚は3年で破綻。離婚は地獄でしたね。そうでない人もいるんだろうけど。ここら辺はまたの機会に詳しく書きます。

 

そしてその3年後、6つ年下の今の妻と出会い、3ヶ月でスピード婚。授かったからではなく順序を踏んで結婚です。俺はまあ年齢的にいつでも結婚は視野に入れてる年齢ですが、妻はこの人しかいないと思って事を急いだようです。バツがあったから義両親には反対されてたんですけどね。

 

前の妻との間には子供は無く、今の妻との間に3人の娘。私が浴びたであろう放射線の影響は、大きな障害もなく、子供も出来たのであまり無かったようです。

 

そして現在ですね。

 

紆余曲折はそれなりにありますが、劇的な程、どん底である家庭環境とか、奇妙な病気にかかっているとか、そんな話のタネになるようなことは無いです。

 

 

そんなブログで良ければ、今後ともどうぞヨロシク。